貿易の変遷
横浜港の割合は非常に高く、全国貿易高の半分以上を扱い日本の港の中心でした。1887(明治20)年になって横浜の割合が下がるのは、神戸、大阪の貿易が発展してきたためです。また取り扱い品の種類も横浜が多かったです。次の時代に輸出の中心となってくる綿糸や綿織物はまだこの時代には輸入の第1位でした。
輸出のトップ生糸 生糸は横浜の輸出品の中心(明治の前半)でした。日本から輸出された生糸のほとんどが横浜を経由しています。茶が生糸に次いで代表的輸出品でした。
生糸が盛んに輸出されたのに対して、絹織物はこの時期を通じむしろ輸入の方が多かったのですが、1889(明治22)年になると逆になりました。