原始の横浜
横浜に人々が生活し始めたのはいつごろからでしょうか。
今からおよそ二百万年から一万年前は、地質学上更新世と呼ばれる氷河時代でした。それは地球上に氷河が発達した寒い時期と、氷河が少ない暖かい時期とが交互に繰り返された時代であり、また火山の噴火や地殻変動によって、日本列島が形づくられた時代でもありました。
鶴見川河口より百m余り上流から、ナウマン象に近い象の臼歯が発見されました。これはパレオロクソドン・ヨコハマエンシスと名付けられ、地質年代からみて十万年前頃のものといわれています。
このころの関東平野の状態は、現在より海が内陸へ大きく入り込んでいました。これを古東京湾と呼んでいますが、それ以前には横浜のほとんどは海底に沈み、わずかに南方に三浦半島がその頭をのぞかせていました。ところが、日本列島を背骨のように貫いている火山帯が激しく活動するなどして海はだんだんと遠ざかり、広い平野部がつくりだされてきました。この後また海水が入り込んでくる時代を迎えるのです。
横浜の地で最初に、しかも本格的な考古学上の発掘調査を行ったのは、ニール・ゴードン・マンローです。イギリスのスコットランド・エディンバラで1863年に生まれた彼は、そこの大学で医学を学び、インド航路の船に船医として勤務、1891(明治二四)年、29歳の時に日本に来ました。市内の山手にあったゼネラルホスピタルに勤務する医師として医療活動にたずさわる一方、考古学的な研究に専念し、日本考古学の歴史の中に大きな業績を残しました。そのひとつが1905(明治三八)年六月に開始された三ッ沢貝塚(横浜市神奈川区沢渡・三ッ沢東町・三ッ沢南町付近)の発掘でした。