海上交通
江戸との交通
横浜の開港後、横浜と江戸との交通は日ましに盛んになりました。次第に、蒸気船による乗合船の営業を始める人たちが現れました。1867(慶応3)年には鹿島屋亀吉らが小蒸気船を買って稲川丸と名づけ、横浜と江戸の間を毎日1往復させました。しかし、営業は不振で、続行は困難でした。新政府は海運によって物資の輸送を行おうと考えていたので、稲川丸を購入して引き続き運行をしました。1871(明治4)年、これを岸田吟香に売却して経営を続行させました。同じころ、横浜商人による弘明丸、鶴丸も就航し、海上交通はにぎわってきました。しかし、1873(明治5)年の鉄道開通により、経営は苦しく
なっていきました。
横須賀との交通
横浜と横須賀との交通は、1868(明治元)年から、
横須賀製鉄所が所有する横須賀丸によって行われ
ました。1879(明治12)年からは民間の業者も旅客
輸送を始め、毎日数回往復していましたが、1889
(明治22)年6月、横須賀線の開通によって廃業し
てしまいました。
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