ポンチ絵
ワーグマンの来日
ポンチ絵雑誌の発行
ポンチ絵とは社会や世相をおもしろく表現した漫画のことです。日本に初めてポンチ絵を紹介したのはイギリス人チャールズ・ワーグマンで、日本は幕末のころでした。1861(文久元)年、日本にやってきたワーグマンは、「絵入りロンドンニュース」の特派員でした。ワーグマンが横浜に第一歩をしるしたのは1861(文久元)年5月25日のことでした。彼はそのわずか3日後に、江戸高輪の東禅寺(仮公使館)に泊まっていて、夜半すぎに浪士の襲撃を受けました。彼はその夜の事件を「浪士乱入の図」として描き、新聞に発表して有名となりました。
ポンチ絵雑誌の発行
『ジャパン・パンチ』が世に出たのは、彼
が横浜に来た1年後の1862(文久2)年で
した。その目的は居留地の外国人を慰る
ことであり、外国人のうわさ話や日本のお
もしろいできごとを取り上げて世相を風刺
しています。1887(明治20)年の末まで、
ほぼ毎月発行されました。雑誌の体裁は、
日本紙に木版で印刷され、表紙とも10枚
前後の和とじでかなり高価だったのです
が、よく売れたようです。この『ジャパン・
パンチ』をまねて、仮名垣魯文が1874(
明治7)年に横浜で『絵新聞日本地』を発
刊しました。これが日本最初の漫画雑誌
です。
ワーグマン独特の風刺漫画は日本の出版界に大きな影響を与えました。また同時に、彼は今日の油絵、水彩画の基礎を日本人に教えていたのです。当時の日本人画家の中で、ワーグマンの教えを受けてその画風を伝えるものも多く存在しました。横浜に住み日本語を話し、日本人を妻とした彼は、1891(明治24)年にこの世を去りました。外国人墓地にある墓の前で、毎年命日である2月8日には、ワーグマン祭が行われています。
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