横浜の警備
県の軍隊
明治になってから、横浜の治安は県兵とポリスによって受けもたれることとなった。1868(明治元)年8月に政府は地方の軍隊である府・県兵を禁止するとの布告をだしています。しかし、その布告に対して神奈川府は、居留民の保護のため必要だから府兵500人ほどをイギリス式訓練でおきたい、と願い出ています。1870
(明治3)年の調査によると、常備兵は455名で、
このほかに楽隊や護送係、砲兵・土工兵などが
いたことがわかります。
モデルとなった警察
神奈川県に新しく警察制度が発足したのは、
1870(明治3)年1月のことでした。それ以前の
幕末には、外国人居留地を整備する「どんど
こ廻り」とよばれる役人もいましたが、明治に
なると廃止され、取締と見廻役がおかれまし
た。取締とはポリスを訳したことばで、これに
は県兵や役人が選ばれ、はじめは数十名と
いう少数でした。居留地警察隊長官は、居留
地取締長官と呼ばれました。ポリスは現在の
警察官と同じように、パトロールや犯罪者の検挙を行いましたが、本町1丁目に取締役屯所を設け、昼夜の別なく外国人居留地をまわるなど、関内の警備が重要な仕事でした。このほか小監察や密商取締係などがいて、港横浜の密貿易を監視していました。ポリスの服装は紺ラシャの洋服に革帯をしめ、まんじゅうがさをかぶり、長い棒や木刀を持ち歩いていました。かさやそでバンドには英語のポリスの文字があざやかで、この時代の先端をいく服装でした。
県は1871(明治4)年8月、県兵の縮小・廃止について大蔵省に意見をだし、県兵と取締を一つにして警察制度を充実しようとしました。その案では総勢249人となるはずでした。この年の11月、県令陸奥宗光は、西欧の警察制度を手本としてついに改革に着手しました。県に邁卒課をおき、総長以下の職員を任命し、従来の取締の名称をやめて、大・中・小三等の邁卒と改めました。神奈川県の警察は当時は東京府も真似するような、全国のモデル警察だったのです。1875(明治8)年に、邁卒は巡査と改められました。
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