共有物事件

共有物分有案

 1873(明治6)年以来、町村の事務は官選である区・戸長の手に移りました。その結果、町会所やその他の共有物も、区・戸長が管理することとなりました。共有物とは、町会所の敷地・建物・付属地・ガス局敷地・建物・十全医院・商業学校などのことです。これらは、横浜の貿易商の積立てによる歩合金で買った財産である
から、貿易商組合のものであり共有物であると
の考えでした。貿易商人らは共有物権取り戻し
の訴えを起こしました。1878(明治11)年、貿易
商組合総理小野光景らの努力で、歩合金、ガス
局問題が一時解決し、町会所などの共有物も貿
易商らのものとする案がつくられました。1889(
明治22)年、貿易商らの希望する共有物分有案
に対して、沖守固県知事はこれを本町など関内
の連合町会のものとしてすえ置こうとしました。
共有物分有案とは、共有物件のうちガス局・学校
・報時所・十全医院の敷地・建物などを本町ほか
13か町の共有とし、町会所の敷地・建物・付属地
・ガス局貸付金と利子を貿易商組合の共有とする
という案です。



大訴訟はじまる

 このような貿易商と県との対立は、ついに1889(明治22)年5月、全国の注目を浴びるような大訴訟にまで発展しました。原告は横浜のすべての各種貿易商の総代であり(約500人の貿易商のうち原告となった者390名)、被告は本町他13町をうけもつ戸島でした。同年8月の判決は原告の敗訴でした。判決の根拠とされたのは、

 「共有物の購入、建設にあてた資金は歩合金からのものが多い。しかし、それは町費を支払
  うために徴収されたのであって、一種の租税と考えることができる。また、共有物は14町町
  民の共有物で、貿易商の専用物ではない」

などということでした。

 貿易商らの原告は、さらに控訴しました。このころから横浜市会は、地主派と商人派の対立が激しさを増してきました。時には商人派の議員が総辞職して市の行政がストップするようなこともありました。しかしその後、一応の和解をみて、1889(明治22)年11月に市の参事会は分有案を決議しました。1894(明治27)年、日本銀行総裁川田小一郎の仲裁で、共有物のすべては横浜市の財産であると確定して、この事件は決着をみました。

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