中学校と女学校
公立中学校の創立
1897(明治30)年、久良岐郡戸太町戸部(今の西区藤棚)に、神奈川県下で初めての中学校として神奈川県尋常中学校が開校しました。他府県に比べると、10年近くも設置が遅れています。外国との玄関口であった横浜が、これほど遅れをとった理由はいくつかありますが、主なものとしては、県内に中学程度の実力を持つ有名な私塾が多かったこと、さらに東京に近いこともあってあまりその必要性が認められなかったことなどが挙げられます。しかもこの間、神奈川県議会で設置案が何回か廃案になるなど
苦しい中での誕生でした。尋常中学校は、
1900(明治33)年、神奈川県第一中学校
と改称しました。
また、県下に初めて公立高等女学校が
できたのは1900(明治33)年のことで、こ
れも設置をめぐって神奈川県議会で激しい
意見の対立がありました。しかし、田沼太
右衛門の努力でやっと実現しました。ここ
は、1907(明治40)年には県立女子師範
学校が併設されるなど、県下の女子教育
の中心となり、1930(昭和5)年に県立横
浜第一高等女学校と改称しました。
早い誕生の横浜商法学校
1882(明治15)年3月本町町会所の中に、実業学校として横浜商法学校が誕生しました。貿易商人の町横浜にふさわしく、新時代に活躍できる商業人の育成をめざして、貿易商組合の力強い後ろだてがあって創立されました。その年12月、現中区に校舎が新築されました。
この学校は洋式教育による5年間のコースであり、初代校長は福沢諭吉の推薦による美沢進です。1888(明治21)年横浜商業学校と改称されました。県立工業学校の開校が1912(明治45)年であったことから考えて、商業教育が横浜で早くから始まったことがわかります。
高島学校
横浜には早くから外国人がいたこともあって、キリスト教系女子校で有名なものが多くありました。私立学校として大規模な近代教育を行ったもののひとつに高島学校があります。高島嘉右衛門が私費30,000円を投じて、伊勢山下にあったガス会社隣の敷地にこの学校を開校したのは1871(明治4年)12月のことでした。洋風木造の2階建てという、当時としては堂々たる校舎で、英語・ドイツ語・フランス語・漢字などを中心に近代的な教育を行いました。付属小学校をもち、一時は700人もの生徒がいました。1873(明治6)年、神奈川県に譲渡されて修文館と合併しましたが、翌年火災にあい、野毛山に移転して再建され、1876(明治9)年、神奈川県師範学校となりました。
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